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のこのこと。

いろんな きゅん を求めて

『溺れるナイフ』を見ました

菅田将暉くんと小松菜奈ちゃんという私得でしかないキャスト陣に惹かれ、映画『溺れるナイフ』を見てきました。
LINEマンガで原作が3巻まで無料配信されていて、公開前に予習のつもりで読んでいたので熱はすごい高まってた。4巻以降も読みたくなって5巻までは課金して読んでたんだけど、全17巻ということを知ってちょっと心が折れました。そんな財力は今なかった……。

映画、すごいよかったです。原作同様ヒリヒリするシーンがたくさんあった。
タイトルの「溺れるナイフ」は10代の過剰な自意識を指しているということだったんだけど、まさにそういう痛々しいくらいの盲目的な恋に溺れる夏芽に自分の中学生の頃を少し重ねてしまったりもして。
好きな人がこの世の中心であり、この世の全てという”あの頃”に思いを馳せることがこの映画の醍醐味の一つであるように感じた。だから映画が終わったあと隣の女子高生が「なんかよくわからんかったー。結局なんなん?」って言ってるのもまあそうだろうなと。そして「君たちにはまだ分からんだろうね」と思った自分にしみじみしたよね。いつの間にか大人になってるもんだなあ。


以下ネタバレありの感想













展開の唐突さは確かに少しひっかかった。
変質者の二度目の襲来があって、今度はちゃんとコウちゃんが来て守ってくれて、自殺という形ではあったけれど変質者をコウちゃんがやっつけたことで夏芽を縛っていた”呪い”は解けたんだと思う。
ただその場にカナちゃんがいたのがなんだかなあという感じ。あの”呪い”は夏芽とコウちゃんの二人で乗り越えるべきものであって(犯人の死が正しい解決策だったのかは別として)、証拠品のナイフを回収して捨てる役割をカナちゃんが担うのはどうなのか。
しかも「もうコウちゃんに関わらんで」ってカナちゃんに言われたっきりで夏芽は本当にコウちゃんと会うことなく東京に行っちゃったんだよね?うーん。
その言葉を受けて泣き崩れる夏芽→主演映画で賞を取って表彰されるシーンへの展開がちょっとついていけなかった。それでよかったの?って。

そもそも夏芽はなんで泣き崩れたのか?
結果的にとはいえ変質者を殺してしまったという取り返しのつかない事実に対する涙なのか、それとも自分のせいでコウちゃんを巻き込んでしまったこと(自殺に使われたのがコウちゃんのナイフ)への罪の意識か、カナちゃんに言われたようにもうコウちゃんと関わることが出来なくなってしまったことへの悲しさなのか。
 
どれということなく全部の感情がごちゃまぜになってというのが一番近いのかもしれない。
けど、別に外野のカナちゃんの言葉を真に受けなくても良かったんじゃないかなと思ってしまったんだよな。言われる前から直感的にもうコウちゃんとは会えないって感じていたからかな。


ただ、このひっかかりを忘れるくらい、バイクに二人乗りして町を駆け抜けるシーンはよかった。ただただ美しかった。
予告にも使われてたよねこのシーン。結局は夏芽が、映画で演じたシーンに自分とコウちゃんを重ねて空想の中でコウちゃんに語りかけているんであって、実際の二人はあの事件以来会っていないんだろな。
それでもあの事件を経てコウちゃんは夏芽にとって永遠の”神さん”であり続けるというのがよく描かれたラストシーンだったと思う。
これから先二人が再会するのかどうかは分からないけど、結ばれなかったからハッピーエンドじゃない!っていうんじゃなくて、人生の中で一度でも「この人に全てを捧げたい。この人のために生きたいし、この人の全てを手に入れたい」って思えたということそれ自体がかけがえのないものなんだよね。
個人的には二人は再会することなく、別々の人生を歩んでいってほしい。それでもずっと特別な存在として、胸の中でキラキラ輝き続けてほしい。


「コウちゃん」の神格性が表れていた部分として印象的なのが二つあった。

まずは自然。
コウちゃんと一緒にいるシーンでは自然のカットがたくさん挿入されていた。
海、空、鳥、石、木々の間から差し込む太陽の光。全部キラキラしてた。
単に好きな人と一緒にいるから世界が輝いているっていうキラキラじゃなくて、コウちゃんも自然の一つとして描きたかったんじゃないかと思う。
「この海も山も、コウちゃんのものなんだ。私も、コウちゃんのものなんだ!」って夏芽が声を張る場面があったけど、コウちゃんは町のすべてを司るものであり、自然が美しく映れば映るほどコウちゃんの凡人とは違う”神さん”感が増していたような気がする。


あとは追いかけっこのシーン。
追いかけっこというか、夏芽がコウちゃんを追いかける場面が映画中に二回あって、そのどちらでも、コウちゃんを捕まえることは出来ないんだよね。
夏芽がどれだけ必死に追いかけても捕まえることができないコウちゃんという二人の関係性がここに凝縮されてた。

ラストシーンの夏芽の独白に「全能感」っていうワードがあったんだけど、まさにそれ。
このワード聞いたときに鳥肌立ったもん。まさに全能の神だったんだよ、コウちゃんは。


やー、でもこれだけ全編通してコウちゃんを”神さん”として描いているからこそ、神社の中で夏芽が去ったあとに声を殺して泣くコウちゃんの痛々しさが際立っていたな。
「俺だってお前が望む”コウちゃん”でありたかったわ」の台詞に、コウちゃんも普通の少年だってことを思い出してハッとした。夏芽がどんな目で自分を見ていたのか知っていたからこそ、”神さん”ではない自分に耐えられなくなったんだろうな。なんとも痛々しいナイフ。



好きなシーンは他にもあるんだけど、あとはまあなんといっても大友だよね。
これはもう、見た人は分かると思うんだけど、絶対大友の方が幸せになれるよ夏芽!!っていう。120%のいいやつ。女の子が恋する要素全部詰まってた。私も恋した。
風邪ひいた夏芽のお見舞いにやってくるシーンとかさあ、もうさあ……!!
高校生になって眉毛を整えたことを何回も夏芽にいじられるんだけど、そのやりとりが可愛すぎて悶えまくってた。映画館にいた全員が悶えてたと思う。
フットネイル見て「おしゃれさんなんやな」っていうのもたまらんし、そのあと「望月のおしゃれさんな眉毛見してみ」って前髪をはらおうとするのもたまらんかった!!!
しかもその前髪を触るのもちょっと照れがある感じでさ、おでこに触れるか触れないかみたいな、指先でつんっみたいな。
なんちゅう健全な男子高校生ーーーーー!きゅんきゅんどころじゃないよーーー!

椿咥えてる大友も、バッティングセンターで励ます大友も、降られて吉幾三熱唱する大友も、どれもこれも天才としかいいようがないくらいきゅんとする要素しかなかった。ありがとう大友。ありがとう重岡大毅
溺れるナイフ出の重岡担大量発生だろうなこれは……私も危なかったもん……



色々ひっくるめて、すごく好きな映画でした。
映像は切り取って写真集にしてほしいくらい美しかったし、音楽とのマッチングも素晴らしかった。
ストーリーの唐突さに関しては全17巻の漫画を2時間にまとめてるわけだから仕方ない気もするし、この映画で大事なのは展開の自然さとかじゃなくて、断片的な瞬間最大風速の感情を視覚聴覚、あらゆる感覚に訴えかけることだったんだと私は解釈した。

公開中にもう一回見に行こう。コウちゃんの全能感をもう一度味わいたい。